東西南北

北鉄退職者の会が54回目の物故者法要

内山光雄さんら3名を追悼


これまでの物故者は376名になる。
10月18日、54回目の物故者追善法要をおこなった(於:光専寺)


 北鉄(北陸鉄道)退職者の会は10月18日、54回目の物故者(376名)追善法要(於:光専寺)をおこなった。以下は私鉄シニアネット事務局に届いた会長・越田智弘さんからの便りと写真。

 秋も深まり、北陸の立山と白山にも雪便りが届くころになり、紅葉前線も高い山から麓へと急ぎ足で下っています。
 先日は第30回定期総会の開会。準備など何かと心くばり頂きありがとうございました。本当にお疲れさまでした。
 去る10月18日(火)北鉄退職者の会で物故者法要を開催致しました。北鉄退職者の会は昭和31年(1956年)6月15日に誕生しています。
 翌年の昭和32年に第一回物故者法要を行い、その後、毎年1回、労働組合と会社のご支援をいただき開催してきました。
 今年は54回目の法要を開催する事が出来ました。
 また今年は、元執行委員長の内山光雄さん、金石外雄さん、手取正昭さんの3名が鬼籍に入られています。
 法要の挨拶で、ご三方の指導者としての事績を紹介し、内山さんには北陸鉄道労働組合の草創期に於いて、知識人として労働組合運動を理論的に指導され、労働者のエネルギーをまとめ上げ、力に変えて運動を発展させ、その後の北鉄労働組合の基礎を築かれた事を話しました。
 内山さんが亡くなられた後、遺族(奥様)の方にお悔やみの挨拶を届けましたので、ただ今からお悔やみの挨拶を読ませていただきます。と、会場の確認をいただき。「内山光雄さんに捧げる」同封文書を読み上げました。
※当日の会場を写した写真を2枚送ります。
※当日の法要出席は、遺族、会員合わせて80名余りの方々がお参りしてくださいました。
※当日の天候は、曇りから晴。
以上、ささやかな活動ですが、近況報告をかねてお使りさせていただきます。

 2011年10月26目(水)   北陸鉄道退職者の会  越田智弘



写真:は法要次第、奄ヘ物故者名を記した掛け軸
  
 内山光雄さんのご逝去を悼んで

 内山光雄さん、ご逝去の知らせを受け、在りし日の様々な思い出が脳裏をよざりました。
 私が入社した昭和三十年当時、内山さんは北陸鉄道労働組合の執行委員長でした。
 社会の事について右も左もわからない十代後半、少年から成年への過渡期の頃だったと思います。
 オルグ常会で内山委員長のお話を伺った事を、半世紀を過ぎた今もなぜか鮮明に記憶に残っています。
 尚、内山大先輩に対して、内山iんとお呼びする事をお許し願います。
 ここで改めて、内山さんが果たされた数々事績はきわめて広範囲にわたり、とてもこの紙面で言い尽くすことが出来ません。
 一つ二つ検証してみたいと思います。
 労働組合運動で働くものの地位の向上を目指し、さらに平和を守る闘いでは、内灘のアメリカ軍の基地反対の闘いを指導され、日本の内灘・世界の内灘といわれ、わが国のアメリカ軍基地反対の先駆的役割を果たしました。
 内灘闘争は平和の闘いであるとともに究極的には民族独立の闘いであったと思います。
 後世の歴史は必ず、この戦いの意義を顕彰しその功績を留める事と信じます。
 また労働の安全を守り、働く環境を保証する労働協約では、わが国の中でも他の目標になる条件を獲得してきました。
 北鉄の労働協約は、ある大学の労働協約の研究資料として使われたと伺った事があります。
 前述の通り、一二の事例を見ただけでも、大きな仕事をされました。
 半世紀以上にわたり、日本の労働運動を指導しリードしてきた理論家であり、そして優れた左翼言論人であった内山光雄さん。
 まさに戦後日本の社会の進歩と発展に寄与されました。
 生あるもの滅びるは世のならいとはいえ、今、大きな喪失感と言いようのない寂寥感につつまれています。
 内山先輩、長いあいだまことにご苦労さまでした。
ありがとうございます。どうぞごゆっくりおやすみ下さい。
 最後に、内山先輩のご冥福を衷心よりご祈念申し上げ、北鉄退職者の会を代表して惜別の挨拶にさせていただきます。
平成二十二年十二月十日
   
北鉄退職者の会  越田 智弘
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