●渕上貞雄コーナー/粒々辛苦


   渕上 貞雄


                 高速ツアーバス事故

           悲しく 無念で 怒りをおぼえる事故だ

                           2012510

■群馬県 関越自動車道でツアーバス事故
 2007年スキーバス事故の反省が活かされず、乗客7人が死亡。38人が重軽傷を負った。
 お悔やみと御見舞を申し上げます。

■運転士逮捕 バス会社、36項目にも及ぶ違反行為
  人命・安全無視、利潤追求のみの結果だ。

再発防止のために
・まず事故原因の徹底究明と対策。
・ツアーバス業界の分析、責任明確化、参入条件の厳格化
・深夜労働を行っている業種の労働者の深夜労働の再点検。深夜労働条件の改善。
・高速道運行の労働条件の改善。
・私鉄・バス・タクシー経営者は業界の健全な発展のために安全問題を(高速料金問題は以上に) 積極的に取り組むこと。
・私鉄総連、交運労協はツアーバス問題の運動経験を活かし御奮闘を願う。


       
        <関連記事>     私鉄総連、国交省・民主党に緊急要請 5月14日

 私鉄総連は、4月29日に関越自動車道で発生した高速ツアーバス事故に伴い、貸切バス事業の適正化と安全運行確保等の対策強化などを求め、国土交通大臣と民主党に対して緊急要請行動を展開した。

 私鉄総連は今回の事故を、個別の貸切バス事業者だけの問題とせず、バス事業全体の問題と捉え、今後も事業の適正化と安全運行確保に向け取り組みを強めていく。

 1.国土交通大臣への要請
 5月14 日16 時、私鉄総連は前田国土交通大臣に対して、関越自動車道で発生した高速ツアーバス事故に伴う安全確保等に関する要請行った。
 要請は、民主党私鉄交通政策議員懇談会から細川律夫会長が同行し、私鉄総連からは渡辺委員長を先頭に、住野副委員長、木村政治政策局長、清水交通政策局長などで行った。
 冒頭、渡辺委員長は「背景を含めた事故原因の早期究明と再発防止に向けた貸切バス事業の適正化と安全運行の確保対策強化を強く求める」とし要請書を手渡した。

 主な要請項目は、@「バス事業のあり方検討会報告書」にもとづく貸切バス事業の適正化対策の早期具体化、前倒し実施、A監査体制強化と効率化、B貸切バス運賃・料金の早期適正化と発注者責任を問える制度の創設、C交替運転者の配置指針の適正化と深夜運行の2人乗務化、D改善基準告示の見直し――など。

 これに対し前田国土交通大臣は、「2007 年に発生したあずみ野観光バス以降、有識者会議を開き、今年から構造改革をやる矢先であった。安全確保のためにどう改善していくか、事務次官を中心のチームを発足させた。また吉田副大臣を長としてチームを発足させ、どう指導するか検討している。今後、国交省が安全確保に向けやれるものは徹底していく」とし、再発防止に向け、安全対策を強化していくとした。


 2.民主党への要請
 5月14 日17 時、民主党に対し、事故原因の早期究明と貸切バス事業の適正化、安全運行の確保対策の強化を、国土交通省や関係する省庁に強く働きかけるよう要請を行った。

 民主党からは、企業団体対策委員会の池口修次委員長が対応。
 私鉄総連からは、渡辺委員長を先頭に、住野副委員長、木村政治政策局長、清水交通政策局長などで行い、民主党私鉄交通政策議員懇談会から細川律夫会長が同行した。
 冒頭、渡辺委員長が「亡くなられた方に私鉄総連の女性組合員バスガイドも含まれていた。背景を含めた事故原因の早期究明と再発防止を徹底して欲しい」と強く訴え、要請書を手渡し、清水交通政策局長が要請内容を説明した。

 この要請に対し池口修次委員長は「今回の事故は党としても原因究明をしていく。党内に国土交通部門会議と厚生労働部門会議による合同会議を立ち上げた。私鉄総連からのヒアリングを受け、民主党としても対応したい」とし、事故の再発防止に向けた対策と貸切バス事業の適正化にむけて取り組んでいくとした。
                                                                     以上


 前田国交大臣への要請書は次の通り。


          関越自動車道で発生した高速ツアーバス事故に伴う安全確保等に関する要請


 日頃の貴職のご精励に敬意を表します。
 私鉄総連は、私鉄・バス・ハイタク事業において日々の安全運行確保とサービス向上を最優先に、公共交通の維持・活性化に全力で取り組んでいます。
 さて、さる4月29 日早朝に関越自動車道で発生した高速ツアーバスの事故では、多数の死傷者が出る大惨事となりました。今回の事故で貴省が実施している特別監査と警察当局による捜査では、多くの法令違反が明らかになっています。

 私鉄総連は、今回の事故について、個別の貸切バス事業者だけの問題ではなく貸切バス事業全体の信頼に関わる大きな問題と捉え、背景を含めた事故原因の究明と再発防止に向けた強制力のある諸対策の早期実施をお願いしたく、下記の項目について要請いたします。

                     記
1.4月3日に公表された「バス事業のあり方検討会報告書」にもとづき、高速ツアーバスの高速乗合バスへの移行や貸切バス事業の健全化に向けた諸対策について、早急に具体化し、早期に実施されたい。

2.「バス事業のあり方検討会報告書」で監査体制強化と効率化の課



「2011.3.11 14時46分 忘れるな」

福岡県社民党自治体議員 福島県原発調査視察報告


  日 時:2012年2月1日(水)〜3日(金)
  場 所:福島県福島市飯舘村・浪江町、南相馬市双 葉町・大熊町、いわき市
  人 員:17人

 《視察内容》
@福島県、福島市――県内の情勢・医療・教育・現状報告
A福島県立医科大学病院――放射能汚染に関する福島県民の健康管理調査の状況
B南相馬市――自治体の取り組みと病院の現状(桜井市長・自治労)
C双葉町・大熊町、いわき市――仮設住宅等の視察
D原発労働者の現状報告・交流

この調査・視察の企画は、市民からの声だった
「福島から送られてきた『お米』は安全ですか」の質問から始まった。放射能汚染の実態はどんなものか、誰も知らない。そこで「百聞は一見にしかず」。私鉄労働運動の教えに従って「調査なくして運動なし」。福島県へ行くことになった。
放射能は具体的に五感(視・聴・嗅・味・触)では感じられない。放射線量を計る測定器の数値で「ある、なし」「高い、低い」がわかるだけ。放射能は「知覚できない」と実感したのは、人影のない無言の街、警戒区域内(20km)に入ったとき。測定器の値は75マイクロシーベルトを示していた。

■安全な放射能など存在しない
 広島、長崎、マグロ漁船、1999年9月30日東海村JCO臨界事故を見聞してはいるものの「放射能=死・恐怖・正体不明の物質」と思う程度だった。放射能とはどういうもので、どんな危険があるのか余りにも知らなすぎた。
 東京電力福島第一原子力発電所の事故後、現実を直視して放射能の危険を知ることから始めなければならない。

■復旧・復興
 福島に入ったとき、復旧、復興など何も進んでいないその遅れに、政治は何をやっているのかと怒りをおぼえた。桜井勝延南相馬市長は、政治家の怠慢と発想の転換を激しい口調で批判していた。権限と資金を地方に渡すべきだ。

■めちゃめちゃになった教育現場
 原発事故は、多くの子どもから学習権、生活権を奪った。避難生活は家族をバラバラにし、学校の不足、移転に伴う教育の過密状態、学習環境の悪化が続き、あまり報道されないが、深刻な状況下におかれている。教育現場も大きな困難を抱え、子どもたちも教師も、危機的な状況である。

■原子力ムラ復活の手助けか
 2011年12月16日、野田首相は「原子炉が冷温停止状態に達し、発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」との原発事故「収束宣言」を出したが、現場では今でも立ち入り禁止区域があり、制限が続いているのが実態であり、検問も続いている。宣言のように事故が収束しているのか疑問だ。
 菅・前首相の脱原発路線から、原発容認への政策変更としか思えない。福島の人々は脱原発・原発廃炉に向けて頑張っている。どうかご支援下さい。

 以上、大雑把な報告になったが、まず東北の現場に行くことだ。行けば変わる。生き方、物の考え方が変わる。
 福島に行けば、「脱原発を選択する道、それ以外はない」と確信する。とにかく現地に行くことを勧める。
 
南相馬市では、福島交通出身の西銑治市議会議員が奮闘している。今回の調査視察では大変お世話になった。
避難し、仮設住宅に住む人々から逆に励ましを受けた。人はどんな困難な境遇にあっても、強い意志と優しさ、明るさを持っているものだと改めて感じた。
また社民党福島県連合の適切なアドバイス、貴重なご意見を頂いた結果と深く感謝いたします。
ご協力ありがとうございました。
原発収束と復旧・復興・脱原発に向かっていくことを誓って、報告といたします。 


『上関原発建設反対 祝島交流ツアー』に参加して


 祝島から学ぶ
 1982年、中国電力が山口県と上関町に対し、原発建設計画の申し入れを行って以来、30年近くにわたり“一致団結”の原発建設反対の闘いを貫き通している。なぜ、島で賛成、反対あるなか、しかも普通のおじちゃん、おばちゃんたちが30年も闘いを続けてこられたのか。こんなにも長く闘い続けていることを学ぶための企画ツアーに参加した。

祝島(いわいしま)――山口県熊毛郡上関町祝島。
 山口県の南島に位置し、室津半島と長島、祝島、八島からなる上関町にある離島。祝島は瀬戸内海に浮かぶハートの形をした周囲12`、農業・漁業が生活の中心で、人口約500人が住む小さな離島である。

 祝島の原発建設反対の闘い
 祝島港のすぐ近くにある「上関原発を建てさせない祝島島民の会」事務所にて会長・清水敏保さんからこれまでの闘争の経過、原発建設反対の理由の説明を受ける。
反対の理由も島という1つの地域と島民の固いまとまりがある。強調されたことは祝島島民の自然に対する愛着の深さと、島民自身の命を含め、恵まれた自然を孫子の代まで守り伝えたい――という心情に根ざしている。
 原発建設計画が浮上してから約30年が経過しようとしているが、島に住む9割の島民が当初より一貫して反対し、さまざまな形で取り組みを続けている。

 第一に、原発予定地「田ノ浦」は、離島「祝島」集落の正面4`の位置にある。美しい海を汚され埋め立てられて、そこに聳える鉄筋コンクリートの巨大な構造物=原発を、夜となく昼となく眺め続けなければならない。そういう生活を強要されることに「強い憤り」を覚える。
 第二に、温暖な気候と黒潮の流入、ずば抜けて豊富な湾内の湧水。その合成によって独特な生態系と豊かな漁場が育まれている。
 海域は周辺8漁協の共有となっており、祝島漁協(=当時。現在は山口県漁協祝島支店)のみが一貫して原発計画に反対。祝島漁協の反対を押し切って「契約」した漁業補償金契約総額125.5億円のうち、勝手に配分された108億円の受け取り拒否を続けている。
 漁業補償金は祝島漁民一人当たり1000万円程度で、一本釣り業と遊漁船業とで年間300〜400万円は得られたので、海さえ潰さなければ3〜4年で稼ぎ出せる額に過ぎなかった。経済的にみても海が原発より遥かに優位にたっていた。
 第三に、原発は経済的に便益がないのみならず、その危険性が明確に認識されていたことがあげられる。島内に出稼ぎで原発内の労働に従事した人が十数人いて、被曝実験で白血球がグッと減少した人も含まれていた。遊漁船の顧客には広島方面からの人が多くいて、被曝の怖さを克明に伝えていた。
 第四に、それほどに恐怖の対象である原発にひとたび事故が生じたとき、離島である故に祝島の人々はどこにも避難すべき土地がなく、避難の方法も提示されてこなかったのである。
 以上のことで、妥協することなく長期にわたり、非暴力抵抗行動が続いている。祝島の人々にとって上関原発建設計画とは、最初に中国電力と1割の推進派となった当時の島の有力者たちが、9割もの一般島民を裏切ったことに対する「憤り」であり、決して島民にとって喜びや便益でもない。祝島島民の原発建設反対の理由は明確である。

 祝島島民ひとり一人が持っている
 反対の根拠は、古来からの文化であろう。海では一本釣り漁法を伝え守り、山では荒地を切り開き、出た石で石垣を築きあげ棚田を作り、祝島の恵まれた天然・自然を孫子代まで伝え、守りたいの心情が培われているからであろう。
 中国電力の「金で人を買い上げる」やり方、推進派の「金のためには、心まで売り払う」という現実を、心の底から体感してきた。

 映画「祝の島(ほうりのしま)」よりーーーーー
或るおばあさんの言葉
 「わたしらはね、この海や山のおかげでいままで生きてこられたんよ、じゃけえね、この海や山を子どもたちや孫たちに残したいんよ。私らの代で勝手にお金に換えちゃあいけんものなんよ。」

毎日山に上がり、棚田で70年間米作りを続ける平萬次さん
 「70何年生きてきて思うのは、生活の目線をどこに置くかかが大事ということじゃね。都会の人たちは身の丈を超える暮らしをしとるように思うね。世のなか全体がそうなっとるからね。もっとものを大事にせんとね」

埋め立て工事の阻止行動で、船上から中国電力社員に訴える反対派の女性
 「あなたたちは、何か命がけでしたことがありますか。会社の命令でマニュアルを読み上げるだけじゃないですか。私たちは命がけで反対してるんよ。海は生活の場なんよ」

 漁業補償金を拒否し続けている漁民は、乱獲を戒める先祖伝来の教えに従って、一本釣り漁法に徹する。その心意気には感動だ。 このように命のこと、天然自然と暮らしのことを考えての反対運動と行動の実働的理念を持っている。そこに続いている原点があるのではないかと思った。

 長期闘いの継続のために
 最後になるが、祝島島民の会は当初、短期の戦いを想定していた。それに取り組む内に、この運動は長期にわたると確認。闘いの継続のためにはまず、会員の生活の確保――。精神的に余裕を持たせるために、それぞれの仕事は優先させる。その上で自分たちの出来る限りの範囲で反対運動に取り組む。「原発建設をつぶしたら、自分たちのふるさとも生活もつぶれた」ということになったらあまりにも悔しいから、長期戦方針に変更したとのこと。そのために現実の原発建設阻止行動とともに、新しい島おこしの取り組みを開始している。現在でも続いている毎週月曜日の18時30分からの原発反対デモは1150回を超えている。継続は力なり。

 終わりに
 このツアーに参加した人たちは祝島の闘いとの連帯の強化、反原発、自然エネルギー、原発建設阻止のため決意を新たにした。その上で人間と自然の関わり方、生活の仕方、毎日コツコツとまじめに働けば「身の丈」の生活が出来る社会の仕組みこそ求められているのではないかと痛感した。

はなぶさあや監督 映画『祝の島(ほうりのしま)』のDVDは、上関原発を建てさせない祝島島民の会にて販売しています。 http://shimabito.net/

2012年2月20日


 被災地 私鉄東北の仲間は元気に頑張っている


  晩秋・冬支度――青森では日中でもストーブを焚く季節となりました。
  10月30〜31日、東北地連高退協第30回定期総会が宮城県松島で開催。井田隆重会長とともに出席する。
 3・11東日本大震災「津波」と「原発」。津波は毎日の生活の営みを根こそぎなくし、田畑を荒地にしてしまった。
  人間は自然から与えられた条件下の中で学び、智恵と経験を積み重ねて生きる以外にない。松島・瑞巌寺に行き、改めて先人の智恵と先見性を思い知らされた。
 
  東京電力福島第一原発の炉心溶融事故による水素爆発から、大量の放射性物質が大気圏に放出され、高レベル放射能に汚染され、いつ収束の方向へ向かうのか、いまだ不透明であり、住民の不信と不安は募るばかりである。このような状況のなかで出席者は大震災にめげることなく、全国高退協の仲間の友情とカンパに勇気づけられ「連帯を基調」とする運動方針を確認した。
  総会の最後で私鉄産別労働運動、産別闘争の中で闘いをともにしてきた仲間への連帯と、私鉄産別労働運動で培ったあの日、あの時の活動を改めて思い起こした。
  「一人でも泣いてる者がないように」と全国の高退協仲間と現役の組合とが連携し、地域の再生、日常生活の再建、復興に向けてそれぞれが一歩力強く踏み出した。 また3・11震災救援・復興支援に感謝する決議を行った。

  〜総会参加の余白〜
  参加者全員が元気で、酒量は現役時代を遥かに凌ぐ勢いがあり、声大きく談論風発。

  話す中、現代はあまりにも数字が優先する世の中になっていると感じた。説得、判断する材料が数字に偏りすぎている。数字は割り切ることはできても、人間の暖かみに欠ける。人生のロマンや夢の談論がなくなり無味乾燥、おもしろくない世の中になりつつある。
仙石線と仙山線を乗り違え、笑いのタネとなる。
  この仙石線は一部運休区内にあり、バス代行中。仙石線はもとは民鉄(宮城電気鉄道)で1925年開業。現在は仙台近郊の通勤、通学路線となっている。
  AERAによれば、3・11で運行中の列車が津波の直撃を受けた。乗客と乗務員によるとっさの判断が乗客の生死の明暗を分けた。
  乗務員 「津波警報が出ました。車内を出て近隣の避難所に移動しましょう」
  地元の乗客 「今いるところが比較的高台」と乗務員にアドバイス。
  乗務員 「動かない方がよいようです。このまま車内にいてください」と案内。
  マニュアル通りならば、外へ避難誘導するところを、現場の判断で中止したという。結果的にこの判断が多くの人命を救った。
 
  参加者はみんな明るく元気だった。これが何よりの救いだった。
  皆と交わした盃は、一酔千日の酒となった。

  2011年11月4日


被災地・石巻市を訪ねて

 8月は地連大会のシーズン。今年は四国・関東・東北の3地連に出席した。
 共通点は地方中小私鉄・バス・ハイタクの利用者減に歯止めがかからず、厳しい経営環境にあること。さらに深刻な事態は、企業の身売り、経営者の交代である。その結果、人員整理、賃金・労働条件の引き下げ、労使慣行無視、組合否定の横行である。「俺が法律だ、言うことを聞かなければクビ」の論理で経営する。

 公共交通の持つ社会的使命、安全運行、地域発展や利用者のため――といった経営理念などなく、ただ利益追求のみの経営である。
 このような経営姿勢に対して、総地連の指導の下に、経営民主化を求め、地方中小私鉄、バス路線を守っているのが、地方中小私鉄組合の姿だった。
 いまこそ私鉄産別の「力」が、「組織」が、問われているのではないか。
産別の統一した闘いが、強く求められているのではないか。
                ****
 東日本大震災で、果たして東北地連大会の開催が可能なのか。開催して何組合が出席できるのかと思案していたが、その心配は杞憂に終わった。
 大会には全組合が出席し、盛会裡に終わった。会場での青年女性の物販カンパ活動、若者は元気だった。何より教宣展には東北地連のネバリと団結の強さを見ることができた。
 大震災の逆境に負けず、私鉄の仲間に対するカンパ、支援にこたえ春闘を闘い、差別運動強化、交通政策実現を組合員に宣伝している活動は、私鉄労働者の根性を改めて知らされた。なにより「今こそ、正念場」のスローガンが物語っている。
大会が終わって、城武顧問、小池書記長の案内で東日本大震災による死者数、家屋倒壊が一番多いと言われる石巻市を歩く。石巻市の高台にある日和山公園から市街地が一望できる。ようやく生活インフラ、道路の補修が始まったが、少し奥まったところは手がついていないという状況であった。高台に立ち、目に映るのは3月11日のままだった。ようやく復旧に動き出したのだと感じた。

 政治は現場から見ることだ。中央は混乱、地方は対応の遅れ、マスコミ報道は全体を見ず、復旧の遅れとなっている。人間の復興は先のまた先のように思える。
 石巻で、津波は想像を絶することを改めて認識する。復旧、復興に対して自治体の数だけ違いがある。
 石巻市も懸命に努力されていることだと思うが、6月に調査しに行った福島県南相馬市と比較をすると余りにも落差があった。
南相馬市ではある程度復旧も進み、復興の青写真の話を聞いたからかもしれない。今なお放射能汚染で苦しめられているが・・・。
 本格的な復旧を早急に実施することだ。特に生活インフラ・道路・鉄道の復旧が遅れている。それが進めば、復興も早くなると思う。
 福島県南相馬市は、東京電力福島第一原発事故で、立ち入りが原則禁止、20キロ圏内警戒区域に設定されている。
 桜井勝延南相馬市長のもと、少数与党議員として福島交通出身・西銑治議員が活躍している。桜井市政は市の復興計画基本方針に「脱原発」を掲げ、電源三法交付金の辞退も決めている。

 2011年9月9日

編注:電源三法交付金

 いわゆる電源三法とは、1974年6月3日に成立した次の3つの法律をさす。

  • 電源開発促進税法
  • 電源開発促進対策特別会計法
  • 発電用施設周辺地域整備法

 電力会社は販売電力量に応じ、1,000キロワットアワーにつき425円を、電源開発促進税として国に納付している(電源開発促進税 法)。このうち、 190円が電源立地勘定で、235円が電源多様化勘定(2003年10月法改正により「電源利用勘定」に名称変更)となる。
 2003年予算で、この税 の総額は4855億円になった。(電源開発促進税率は、今後段階的に引き下げられる予定。)
 もちろん最終的にこの税金の負担は、消費者が電力料金に上乗せされて支払っている。
 納められた税金は、特別会計に組み込まれ、発電所など関連施設の立地及び周辺市町村に対し交付金などの財源にあてられる(電源開発促進対策特別会計法)。

 そもそも「電源三法交付金」とは・・・・迷惑料
 交付金制度の制定は1974年。そのころ通産省(当時)資源エネルギー庁の委託で作られた立地促進のパンフレットには、次のように書かれていた。
 「原子力発電所のできる地元の人たちにとっては、他の工場立地などと比べると、地元に対する雇用効果が少ない等あまり直接的にメリットをもたらすもので はありません。そこで電源立地によって得られた国民経済的利益を地元に還元しなければなりません。この趣旨でいわゆる電源三法が作られました(日本立地セ ンター「原子力みんなの質問箱?)。」
 つまり本来三法交付金は、原発が地域開発効果を持たないことに対する補償措置以外のなにものでもない(清水 修二福島大教授「原発を誘致する側の論理」1988)。 

 使い道は限定なしに
 この交付金の仕組みは2003年10月1日に法改正された。これまでこの制度は、交付金ごとによって「公共施設の整備」や「電気料金 の実質的割引」、「産業の導入・振興」などと用途が限定されていたが、改正により各交付金を「電源立地地域対策交付金」の一つにまとめることで、現行 交付金制度の対象事業が全て実施できるようになった。
 また、新制度では、他の交付金や別の財源で整備した施設の維持運営費にも活用できるようになり、さらに、改正の大きな特長としては、新たな対象事業として、「地域活性化事業」を設け、さまざまなソフト事業にも支援できるようにした。




業界体質?「隠す」「白を切る」「嘘をいう」

 福島は元に戻るのだろうか。答えはあるのだろうか。
あるとすれば広島、長崎そして数々の原発事故からみて、放射性物質を身体内に取り込んだ場合、安全性などない、といえるのではないか。
 東京電力福島第一原発事故による放射能の放出は、今も止まっていない。
 福島はどうなるのか。避難した人々は住み慣れた地に戻れるのか。子どもたちは? 近隣県はどうなるのか――放射能汚染に対するその不安は消えていない。
 その矢先、夏場の電力不足を、「安全」という言葉を「原発がなければ電力が不足する」という言葉に変えて、九州電力玄海原発2、3号機の再稼働を求めた海江田経産大臣。事故対策の十分な説明もなく、再稼働とは疑問に思うのは当然だと思う。
7月5日、玄海町・岸本英雄町長は、九州電力との協議で「私自身も確認した」「一定の理解が得られた」と再稼働の同意を九電に伝達する。
 古川佐賀県知事も「安全性はクリアされたと理解を示す。あとは、県議会の意向と議論。菅首相の意向」と。
 何をどのように確認したのか。安全がどのようにクリアされたのか何人(なんびと)にも知らされず、近隣、自治体首長には何も相談なく、早期再稼働の容認に不満と戸惑いがあるだけだ。
 先にポストが決まっていた細野大臣。原発事故担当相とは「何を」「どんな課題を」担当するのか。いま国民が一番不安に思っていることは事故のことなのに・・・・。
 7月5日午前、松本龍・復興対策担当相辞任。
 7月6日、全原発、新たな耐性検査(ストレステスト)方針の実施を菅首相が表明。
 7月6日夜、「玄海原発再開容認」やらせメールについて真部九電社長会見。指示していたことが明らかになった。
 東電福島原発事故以降、記者会見等で発表される事柄について「本当か」と疑い、何となく信用できないなぁと思っていた矢先に、このやらせメール。
 業界の体質か、まず「隠す」、そんなことはないと「しらを切る」、「うそ」を言う。
 ばれたら一列に並んで頭を下げる。そして責任はまず現場に。それで一件落着。この体質を改めない限り、信頼の回復はない。
 九電やらせメール事件は組織的に行われたかどうか、詳細が今後明らかになってくるであろう。脱原発への絶好のチャンスなのに、民主党の内部がこうゴタゴタしていては、民主党はもとより政治に対する不信は高まるだけだ。
 7月7日、玄海町・岸本英雄町長、九州電力玄海原発2、3号機の運転再開問題で、九電に再稼働同意を「やらせメール」問題発覚で「私の判断がムダだった」と同意を撤回。
 これを機に脱原発から自然エネルギーへ。

2011年7月9日


被災の地 福島を訪ねて

 私はいままでに何度か福島交通を訪れている。
 このような悲痛な福島訪問は初めてであり、最後にしたい。

 訪問のきっかけは6月2日、私鉄高退協幹事会。吾妻紀夫東北地連福島交通退職者の会会長の発言だった。「福島には誰も来ない、通り過ぎていくだけ」。

 6月14日、私鉄総連本部と元委員長との懇談会が宇都宮で開催されたので、これを機会に、福島に行くことにした。
 福島では紺野福島交通労組委員長、吾妻会長、須田事務局長、そして沖野さんが迎えてくれた。

 須田局長の運転で南相馬市へ。移動中、吾妻会長、沖野さんから現時点での被害状況について説明を受ける。道中、風景は移れど、人家はあっても人はいない。日常生活のにおいすら感じられない。太陽が静かに若葉に照りつけ、光っていた。何とも言えない光景だ。阻喪とした気分になり、沈黙が続く。

 「ここから20km圏内、警戒区域、立ち入り禁止」との説明を受ける。TVや新聞報道による地図や図表では理解できるが、道路を走っていてはその境界線など分からない。

 南相馬市役所で西銑治市会議員(私鉄自治体議員・福島交通)が大震災・原発事故にも負けず、いつもの元気な笑顔で出迎えてくれた。(西市議の家屋は津波によって流失し、ご家族が犠牲となられた。)

 西市議の説明によると、南相馬市の調査では避難区域(一部計画避難準備区域)であっても、放射能数値が平常時と同じで影響がない地域もあるとのこと。福島県は今後、放射能定点観測地点を拡大するとのこと。放射性物質の拡散は風向き、地形などで大きく変わり、距離の遠近だけでは判断できない。

 吾妻会長の話によると、南相馬市役所内で聞こえた話として、「市町村合併は間違いだった」と大きな声で話していたとのこと。(2006年の市町村合併により、1市2町が「南相馬市」となった。今回の放射性物質の被害はうちの1市1町の数値が高いことによる、発言と思われる。)

 要は現地の調査が必須だ。放射能の見えない恐怖。「命」に関わる大事な問題なので、放射能には線引きができない。

 凸凹になった道を走り、海岸の防波堤に立つ。山の麓まで何もない。人の姿、実りも泥土に埋まり、古里も消えて、ない。
 「目に焼き付けよ」とばかりに剥き出しになった地肌と石ころの荒野。がれきの山と船は山麓まで運ばれ、重機、自動車、トラクターなどは押しつぶされて流され、無残な景色があちこちに点在していた。

 40数名が避難し、その内3名だけが球技用のネットで助かった高台。そのうしろは堤だった。こんなところまで津波が、と思うほどの距離だった。冥福を祈る。

 西市議の家は跡形もなく、ここが家だったと指さしたとき、西市議の顔が一瞬ほほえんだように見えた。指の先には青い竹の芽があった。「竹が生きていた」と。この竹は鹿児島出身の母親が、鹿児島から持ってきたのだという。(注:おそらく火縄銃の盾に使う竹ではないか。私鉄鹿児島交通調べによると中国原産のキン竹ではないかとのこと。)ひとときの安らぎだった。

 福島原発の収束、被災地の復旧、復興と共に竹の成長を願う。

 3・11東日本大震災の以前・以降では、従来の価値観は変化してきていると思った。人々の生活の価値観の変化と共に、我が国の社会経済、政治、労働においても、変化をもたらす機会、動機となってゆくだろう。東日本大震災の記録は、自然災害と人災として、世界の歴史に残るであろう。

 吾妻会長の「福島に来福を」という想いは、大震災、原発事故を深く心に刻んでほしい。いま私たちがやれることは、後世に再び同じ過ちをおかさないように、犠牲や被害を出さないように、後世の仲間に伝えたい。これが被災を受けた福島はじめ東北の人々の気持ちではないだろうか。

 沖野さん、吾妻会長、須田さん、紺野委員長、大変お世話になりました。

今後、復旧・復興に向けて、一人ひとりが ”やれることをやってゆこう”

2011年6月20日



地震・津波、福島原発、風評、政治の4被害

 原子力安全保安院と東京電力が言ってきた「原発は安全、そして安心だ」――これは一体、何だったのか。いまだ核燃料の冷却ができず、その見通しも不透明、まったく目処(めど)がたっていない。国民の不安は増すばかりである。とにかく福島原発の一日も早い収束を願ってやまない。

 私たちは「原発は一度事故が発生すれば大変になる」と反原発の運動を行ってきたが、3.11東日本大震災で現実のものとなってしまった。
 3ヶ月近くたったいま、福島原発周辺の住民は住み慣れた土地を追われ、職を失い、放射性物質による空気と水と土壌汚染に見舞われている。加えて風評被害。改めて放射性物質の持つ危険性、そして、放射性廃棄物の毒性と制御がいかに難しいことかを国民は学んだと思う。

 福島原発事故、その後の浜岡原発の全面停止によって、世論は脱原発の方向へ動いている。これからは原発推進であった政・官・業・学者・マスコミと脱原発との闘いになるのではないかと思われる。「開き直って原発を続ける派」と「原発依存を見直す派」との闘いだ。
 先のサミットでも明らかなように、世論は脱原発・自然エネルギーの方向へ進んでいる。対立はあっても、再生可能な自然エネルギーの方向へ。脱原発の地球温暖化をも考慮の上でのことは、言うまでもない。

 今回の震災は「地震・津波、福島原発、加えて風評被害」と言われていたが、今はこれに「政治被害」を加えなくてはならない。国難と言えるこの時期、人間復興、地域の復興のために党派を超えて一丸となるべき時に、己の党のために国会に空白を作るとは何事だ。茶番劇である。内閣不信任も、終わってみれば民主の内部がまとまっただけだ。国民は「政治不信」というより「政治無視」になっている。

 政治家の言葉は重い。首相たる者、辞任を口にした以上すでに死に体だ。一刻も早く辞任すべきだ。第5の被害を食い止めるためにも、いったん口に出した以上は連綿とすべきではない。
 なにやら怪しい雲行き、「大連立」。ある人が言い出したときに潰したことを、まさかお忘れではあるまい。東日本大震災直後の政治の動きを思い出される。同じ道は二度と踏むまい。

2011年6月6日

放射能汚染を一刻も早く止めろ

 春は 入学、入社、甲子園。花咲く便りからやってきましたが
 今年の春は、日本列島崩壊から日本列島再起の春へとなりました。

 東北地連 安否不明者の一日一秒でも早い再会を祈る。

 原発は建設、運転、廃炉、常に膨大な費用と時間がかかる。
 一旦事故が発生すれば、どれほどの被害になるかわからないと言われている。
 福島第一原子力発電所の事故原因の検証は今後に委ねるにしても、
 当面、国民を不安に落とし入れる放射能汚染等。
 「これからどうなるのか」という不安に早急に政府、東電は対策と方針を示すべきだ。

 放射性物質の外部への漏洩を一刻も早く止めることだ。

2011年4月6日


小池 さん バイクで走る

 東北地連・小池泰博書記長、バイクの音、風切る音、息急き切った声――。
 通信回路が繋がった、生きていた証。第一声だった。嬉しかった。

 「支援物資 東北地連に向う」。総連ニュースにホッとする。総連の取り組みに感謝。

 地震発生から20日余り。日に日に明らかになってきた被災の大きさ。寒い中、被災地での復旧、復興作業にあたられている方々に心より敬意を表すとともに、被害に遭われた多くの方々に心より哀悼の意を表します。

 科学も技術も進歩して生活は便利になったが 、自然の猛威の前には、人間の弱さは今も昔も変わらない。親、子、愛した人を亡くした人の悲しみも変わらない。

 各地で復旧していくニュースは、人の心の重みを和らげてくれる。また卒業式での巣立ち行く若者の言葉は、希望から絶望のどん底の逆境にある。しかし子ども達の悲しみの涙声の中にも、どん底から立ち上がり、這い上がろうとする力強い意志と希望を持っていることを知った。

 天災か人災か。東京電力・福島第一原子力発電所の爆発事故、放射能漏れ。放射能を封じ込める作業が続いているが、どうもその作業は進んでいないように思う。「どうなっているのか」と国民の不安は募るばかりだ。私には 放射能汚染が徐々に拡大の方向へ向かっていると思えてならない。

 知りたいことは、今の作業で事故は収束するのかどうか。そしてどう逃げればいいのか。逃げる所はあるのか、逃げた先は安全か。どうすれば安心出来るかだ。安全、安心に生活をするために、国民は確実な情報を知りたいのだ。
2011年3月30日



甚大な被害に遭われた皆様に謹んでお見舞い申し上げます

  東北地方太平洋沖地震による甚大な被害に遭われた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。
  日本列島は改めて地震列島であり、 地震はどこで起きても不思議でない。 自然の猛威に打ちのめされましたが、 希望を持つて、 辛いでしょうが、 明日を信じて希望を失わないで。
 希望があればなんとかなる。 私鉄の仲間がいる。 多くの仲間が応援しています。
2011年3月17日
渕上 貞雄