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| 総評OB会が脱原発にむけた中間報告を公表 脱原発社会に向けて舵を切ろう |
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![]() 2011年12月13日、「総評を語る夕べ」が開かれた。この日は、「脱原発に向けて」と題する講演(原子力資料情報室・伴英幸)が行われたが、その概略は、後日報告する予定。 同日配布されたのが、総評退職者の会(OB会)脱原発プロジェクト主査・並河敏さん署名の「脱原発にむけた提言の『中間報告』」。総評退職者の会が「脱原発にむけ運動に可能な限り参加していく」とともに、「脱原発にむけた提言をまとめる」ことを目的に、これまでの3回のプロジェクトでのフリーディスカッションをし、成文化したもの。 メンバーの中からは、内部被曝問題や原発労働者の被曝問題、電力を湯水のごとく使ってきた生活スタイルの再検討など、いくつかの補強意見が出されているが、今後の検討材料に供したいとの思いから、「中間報告」として発表することにした――と述べている。引き続き検討を進め、来年の総会までに「最終報告」を提出できるよう努力する、という。 長文の報告だが、あえて転載する次第。 脱原発にむけた提言の『中間報告』 1.はじめに レベル7となった東京電力福島電力第一原発事故はいまだ収束の道筋が見えていない。「冷温停止」とは放射性物質の放出がない状態だが、それが不可能なため、政府・東電は容器底部の温度が100度以下となり大規模な放射性物質の放出が止まることをもって「冷温停止状態」としている。 言葉をごまかし、メルトダウンし内部の状況を確認する術もないまま水をかけ続けるしかないのが現状である。連日、食品や土壌の放射能汚染が明らかとなり、日本は放射能と「共存」するしかなくなってしまった。放射能汚染は健康を害するが、その具体的な影響の程度についてはわかっていない。原発を制御、処理する術を待たないまま地震大国である日本で原発と同居することは、事故の危険性だけでなく、経済的、社会的コストの面からも非現実的と言わざるを得ない。今回の原発事故を契機にエネルギー政策を根本的に見直し、「脱原発社会」に大きく舵を切るべきである。 2.福島編発事故の実装と影響 《福島原発事故は人災》 福島第一原発の事故原因については津波とされているが、地震で大きく損傷した疑いも残っている。 3月11日の地震当日はすでに1号機からは大量の放射能が漏れており、複雑な配管が地震で損傷した可能性がある。いまだ原子炉の現状を確認できない状態で拙速な結論を出すべきではないだろう。確かに東京電力は今回のような地震と津波の可能性を知っていたのであり、それにもかかわらず対策を立ててこなかったために、人災であることは間違いない。 《福島原発特有の事故ではない》 しかし過去の事例を見ても、いくども想定外の揺れを観測し、柏崎刈羽原発や浜岡原発は地震で損傷している。柏崎刈羽では想定の3倍を超える2500ガルを計測し、426ガルで損傷した浜岡5号機は2005年稼動の新しい原発である。今回の地震では余震の震度5強で東通原発と六ヶ所村再処理工場は外部電源を喪失し、非常用ディーゼル発電機も(幸いにも外部電源が復旧した後だったが)止まってしまった。確かに、日本には老朽化し劣化した原発が多く、その代表である福島第一原発の事故は未曾有の地震と津波の中で起きたが、それは福島第一原発特有の事故ではないのである。 《不可能な事故の完全制御》 今回の事故で私たちは原発が極めて単純な仕組みであり、とにかく水をかけて冷やすしかないことを知った。しかし、容器自体が損傷せずとも重要な配管が壊れれば注水が止まりメルトダウン(炉心溶融)に至るのである。 現在、地震と津波への対策が進められているが、地震によっては土地の隆起が起きれば原子炉自体が傾き損傷する。揺れの想定など無意味である。ひとたび事故が起きれば制御できないことは、チェルノブイリがいまだに終息せず、新たな石棺を作り技術開発を待つしかない状態にあることからも明らかである。 《手におえない放射性物質の拡散》 放射性物質が拡散すると人間には手が負えないこともわかってきた。汚染されたものは取り除くしかないが、汚染物は膨大な量に達し、処理することができていない。そもそも放射性物質の拡散は続いており、被曝させないではなく、「どの程度の被曝を許容するか」が焦点となっている。しかし、長期の低線量被曝や内部被曝の影響については医学的見解が分かれている。政府は「100_シーベルト以下の健康被害の明確な証拠はない」などと喧伝しているが、広島、長崎の被爆者、チェルノブイリ、原発周辺の住民調査、原発労働者、高線量地域などの調査から、10_シーベルトなどの低線量であっても健康リスクがあるという研究結果も多い。ICRP(国際放射線防護委員会)ですら100_シーベルト以下も健康リスクを認めている。現に日本では年5_シーベルトの被爆で白血病が労災と認められる。「明確な証拠はない」とは見解が分かれているということであり、「安全」を意味しない。安全性が不明な場合には「予防原則」が適用される。不明であるからこそ危険と想定しなければならないのである。しかし政府はICRP(国際放射線防護委員会)基準に基づくと言いながら過去の基準をすべて無視し、一貫して「不明」を「安全」と誤解させてきた。 《「不明」は「安全」ではない――高まる政府不信》 SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムの略称。文部科学省所管の財団法人である原子力安全技術センターが運用する、放射能の影響を予測するためのシステム)を隠蔽し、人々を被曝させ続けてきた政府への不信は高まっている。11万人以上が避難し、食品、観光、生産活動への影響は日本全国に及んでいる。本来であれば事故の責任者である東電と管理者である政府が行うべき放射線量の測定と除染は、一般の人々が行わざるを得なくなっている。万単位で出るであろう健康被害を除いても、除染だけでその費用は数10年単位で数10兆から100兆円ともいわれる。さらにそもそも森林などは除染が極めて困難であり、原発周辺地域は放射性物質の流出が収まらない限り除染もできない。政府が「不明」を「安全」と誤解させようとする限り、放射能汚染という「実害」を認めない限り、「風評被害」はどこまでも拡大するであろう。 3.「原発推進政策」とは何だったのか そもそも日本に原発が導入された原因は、アメリカの核政策にある。「核の平和利用」の美名の元にアメリカは正力松太郎と組んでプロパガンダ(主義・思想の宣伝)を推し進めた。エネルギー自給と核兵器保有の夢はいまだに原発推進論者の心を離さない。このため政官業学メディア癒着の「原子力ムラ」が形成され、原発は国策民営となり、極めていびつな原子力政策が作られてしまったのである。 《推進ありきの原発政策》 原発は推進という結論ありきであり、そのために発電単価の操作、安全検査体制の隠蔽、改竄(かいざん)が行われてきた。原発を推進する資源エネルギー庁と原発の安全管理をする原子力安全保安院が原発推進を掲げる経済産業省の元にあるという「異常な体制」が作られた。耐震性や検査結果の偽装、改竄の証言も多数あるが、保安院は内部告発を調べもせず、告発者名も含めて電力会社に伝えるなど、腐敗の根は深い。審議会等では原発の危険性がたびたび指摘されてきたにもかかわらず、国と電力会社の「学者」が安全性にお墨付きを与え、国は規制をせずに電力会社に丸投げをしてきた。原発建設のアドバイザーを務めた学者が審査も務めることも珍しくない。アメリカもフランスも諦めた高速増殖炉に日本はいまだに税金を投入している。教育の面でも教科書検定その他で原発の安全性のみを強調するように指導し、広報してきた。原発に批判的なメディア報道には電力会社と学者が一体となって圧力をかけ、いつしかメディアは原子カムラの一員となってしまった。原発関係の説明会では国、地方自治体、電力会社が一体となってやらせを行い、世論を捏造(ねつぞう)してきた。このように「安全神話」を含めた神話が作られる中で、その神話にもっとも嵌(はま)ったのは原発推進派であろう。 《高い原発コスト》 しかし、実績を見ても原発の不可欠な揚水発電と合わせて計算する原発の発電単価は火力と変わらず、これに74兆ともされるバックエンドコストや国から投入された税金を合わせると、原発は高いことが明らかになっている。今回の事故を受けて地震や津波への備え、事故時の補償などを考えれば、原発は経済的にコストの面だけ見ても非常に高い発電方式である。 《原発誘致による地域振興の虚構》 それにもかかわらずこれだけの数の原発が建設されたのには、国を挙げての原子力推進政策のたまものである。まず1962年に原子力損害賠償法が制定された。原発事故費用は膨大なため、国家が援助するというものである。しかし、国家破産の懸念から国の援助額は国会審議で決めるとされた。当初から原発事故の被害が手に負えないことは分かっていた。この原発事故の影響を少なくするため、原発は過疎地域に立地する。 また電源3法により毎年多額の税金を投入し、原発立地自治体を補助金漬けにしている。さらに原発立地自治体は、核燃料税などの独自税や、毎年匿名で電力会社から寄付される数百倍の資金などで財政的に潤う。その結果、麻薬のように地方自治体が原発に依存するようになり、電源3法交付金が切れると財政破綻するため、新たな原発を要望するのである。 その結果、大規模発電設備が1ヵ所に集中するという災害に脆弱な状況が生まれた。事故後の4月に原発交付金が改定され、新規原発建設の交付金が引き上げられ、また発電実績に応じて交付金を計算するようにされたことからも、麻薬の力は明らかである。 そもそも電源3法は「原発が地元にもたらす利益が少ない」ために導入された施策であることからも、原発による地域振興は虚構であることが分かる。 《被曝労働の犠牲は非正規労働者に》 そもそも原発での作業には被曝がつきものであり、電力会社はその危険性から非正規労働者に危険な作業をさせてきた。安全性の偽装やコスト削減のために原発労働者の被曝を隠し、健康被害も隠蔽してきた。今回の事故でも東電は下請け、孫請けの労働者の安全管理をしていない。原発は後進地域、過疎地域を利用し、非正規労働者を使い捨てることで成り立っているのである。 4.いまこそ脱原発社会≠ヨ 《世界で進む脱原発》 私たちは以上の原発の問題に真剣に向き合ってきただろうか。イデオロギー対立の構造の中で、原発建設地域や原発労働者の実情に向き合ってこなかったのではないか。いま、この反省を胸に、とにかく危険な原発を止め、原発に依存しない「脱原発社会」へと歩みを進めなければならない。福島第一原発事故以降、すでに世論調査では「脱原発」が圧倒的である。世界の趨勢を見てもドイツやスイス、イタリアなど「脱原発」を選んだ国を筆頭に、「縮」「減」原発の方向へと進んでいる。「脱原発」を実現させる将来のエネルギー開発競争も進む中で、政治は「脱原発社会」への意思を明確に示さねばならない。 《原発依存30%の嘘》 いま現在、日本の原発はほとんどは停止している。節電努力もあり、猛暑を乗り切った。しかし電力供給が不十分であれば産業への影響は大きい。また原発に代わる代替エネルギーとして再生可能エネルギーはいまだ不十分である。再生可能エネルギーに今すぐ頼ることは非現実的である。 しかし安全性が不十分であるだけでなく、原発事故が収束しておらず事故原因も分からないままで原発を再稼働させるのは、地元住民の理解を得られないであろう。「原発再稼働もまた非現実的」なのである。 そこで私たちは現実的な電力供給の道を考えなければならない。そもそも原発が日本の電力の30%を占めていたというのは間違いである。原発は最大出力でしか運転できず融通が利かないため、火力などを止めて原発を稼働させてきた。発電量に占める原発の割合は30%であったが、発電設備全体の発電可能量に占める原発の割合はずっと少ない。現状を見ても原発が本当に必要になるのは、真夏と真冬のピーク時のみであろう。 また21世紀にはいって電力需要は増えていないことからも電力消費量を平坦化すれば原発なしでも電力は足りる。思い起こせば今夏は原発以外にも多数の火力、水力が壊れたにもかかわらず停電にはならなかった。まずは本当に必要な電力を計算するために、電力会社にデータを提供させねばならない。 《原発抜きのベストミックスで》 そのうえで足りない電力があるならば、まず「短期・中期的な代替えエネルギー」を考えなければならない。 世界では石炭火力が見直され、液化天然ガス(LNG)火力に注目が集まっている。石炭も天然ガスも石油やウランよりも長く持ち、火力発電設備の進歩によりクリーンで効率的な発電が可能になっている。LNG火力であれば短期間、低コストで設備が可能である。蓄電池やスマートグリッド(次世代送電網=電力の流れを供給側・需要側の両方から制御し、最適化できる送電網)の開発により、エネルギー需要とは別に、エネルギー供給は平坦化できる。 中期・長期的には石油やウランのように輸入に依存するのではなく「エネルギー自給」も考慮して再生可能エネルギーの開発が重要であろう。再生可能エネルギーにはすでに安定的に実現されている地熱や水力がある。バイオマス(樹木、草、海草、農産廃棄物、林産廃棄物などの大量に存在する生物資源)や小規模水力など、大きな可能性を秘めている。 確かに再生可能エネルギーは、風力や太陽光など、ひとつひとつを見ると不安定である。しかしエネルギーというのは現在でも複数の発電方法を組み合わせているように、再生可能エネルギーを含めた最適なエネルギーミックスが必要である。ひとつの再生可能エネルギーに依存するかのような議論は、ためにする議論であろう。 世界的な成長産業である再生可能エネルギーヘと、重点をシフトするべきである。また小規模分散型のエネルギー供給は、現在の大規模集中型のエネルギー供給に比べて災害に強いという利点もある。災当時の大規模集中型エネルギー供給に比べて、災害に強いという利点もある。災害時のひとびとの生活や産業活動のためにも、小規模分散型でのエネルギー自給を目指さねばならない。 5.脱原発社会とコスト 《地域独占と総括原価方式の見直しを》 しかし、原発を火力で代替えすると燃料費により電気料金が上がるという懸念もあろう。だが、思い出さねばならないのは日本の電気料金は、もともと世界一といわれるほど高いということだ。その原因は「地域独占と総括原価方式」にある。競争が働かず、コストを電気料金に載せられる方式により、私たちは非常に高い電気料金を払ってきた。電力の一部自由化の恩恵は、いまだ大口需要者にしか及んでいない。官庁などはこの恩恵を得て安価な電力を購入している。 原発か値上げか、という選択肢は問題を見えなくする。電力自由化を推し進め、そもそも高い日本の電気料金を適正価格まで引き下げなければならない。とくにコストの高い原発には多額の税金も投入されている。国家保護は市場原理を歪め、効率的な資源配分を阻害し、モラルハザード(規律の喪失、倫理観の欠如した状態のこと)を生み出している。 地域独占と総括原価方式、電源3法、原子力損害賠償法を廃止する。発送電分離を含めた電力自由化を進める。これらは原発をどうするかという問題と切り離して即座に行われなければならない。 電気を選ぶことは生活スタイルを選ぶことでもある。自由化により生活の選択肢を増やさねばならない。原発立地自治体もまた原発受け入れか、破産かという誤った選択肢を押し付けられるのではなく、安全で活気のある地域振興が追及されなければならない。再生可能エネルギー特区といった構想も一考に値しよう。 《社会に押し付けられるリスク負担》 また日本における原発の適正なコストとリスクも考えなければならない。莫大な税金投入が予想されるなかで東電の株主・社債・社員が保護され、社会にコストが押し付けられている。 原発は、利益は電力会社に行くが、放射能汚染や除染など多大なコストは社会が払っているのである。 『平成22年度防災白書』によれば「世界全体に占める日本の災害発生割合は、マグニチュード6以上の地震回数20・5%、活火山数7・0%、死者数0・3%、災害被害額11・9%など、世界の0・25%の国土面積に比して、非常に高くなっている」。つまり、日本では「地震は起きるか起こらないかではなく、いつ起こるかの問題」なのである。再稼働の可能性、事故時の計算不可能なリスク、安全対や事故時のコストを考えると、電力料金の維持のための原発という論理は破綻していると言わざるを得ない。 《原発の安全管理は原子力村の解体から》 しかし、既存の原発は仮に稼働させないにせよ常に管理する必要がある。既存原発の安全対策は、進めなければならない。そのため にはこれまで原発にかかわってきた専門家、学者、官僚からなる原子力ムラの解体が必要である。 「神話」をばらまいた人々に対する責任追及、東京電力の法的整理はモラルハザードを防ぐためにも不可欠である。新たな機関の長と構成員の過半数は、原発に批判的な専門家が就くべきである。原発を維持するにせよしないにせよ、原発の危険性を指摘してきた専門家が監視してはじめて原発の安全性が向上する。そして最低限、福島第一原発と同型の原子炉や老朽化した原子炉、過去の地震でダメージを負った原発、活断層などの近くの原発は、即時廃炉をしていく必要がある。 エネルギーは電気だけではない。石油やガスを電力に変換するには大きなロスが発生する。電力は便利ではあるが、今後のエネルギー政策は電力だけでなく、他のエネルギーも含めた効率的なエネルギー使用を考えることが求められる。 |
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