| 朝日 五男さん(阪急労組OB) |
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喫茶店での「雑談の会合」
近畿交運労協の専従役員を最後に、現職を離れて、
10年が過ぎました。現在74才、この間、私鉄関西地連高退会会長を務めてきました。
この関係で、地連高退会幹事会、連合大坂高退会、そして総評友の会(親睦会)、阪急電鉄の昔の職場の仲間(月1回10人位が喫茶店で雑談会)、月二日の医者通いなど、平均して週1日程度は家を出て行きます。
お会いするそれぞれのメンバーは高齢者ばかりで、年齢も60歳台から80歳過ぎの人たちです。
若い時代と違って昼間の集いばかりですが、これらの人々と雑談するのが楽しみですが、若い人と話すことが少なくなったのは残念です。
私らにとって、10年はやっぱり長い年月です。この10年間で、雑談の中身は変化してきました。思いつくまま、資料もないので行き違いも有りますが、あえて恐れずにまとめてみました。
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| 10年間の変化 |
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この間ずうっと、デフレが続いた。インフレは、イヤというほど経験してきたが、こんな長いデフレは初めてだ。

労働運動も、当初は「もっと元気を出して頑張れ」という叱咤激励型が多かった。現職からは「今の年寄りは元気ですね」との応答だった。
バブル崩壊後は、制度改革、規制緩和などという大きな変化にどう対応するのか−−労使とも戸惑っていた時だったのではないか。
しかし昔からよくある「今の若い者は・・・」という、あまり関心しない自慢話のようなものを感じたが、それを卒業しなければ、高齢者の進歩はない、と反省させられた。4〜5年もすると、「今の現職の役員は、可愛そうだ」との声が聞かれる様になった。
同盟系の組合卒業者からも、話を聞いたことがあった。同情論の中身はさまざまだが、苦悩みたいなものが伝わってくる。私も何人かの人に「ストレスをためるなよ」と声をかけた事があった。また、仕事に対する生き甲斐みたいなものも、変わってきたのだろうかと思った事もあった。
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地連高退会幹事の皆さんと 平成15年6月和歌山にて
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小泉外交
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01年9月11日以来、小泉内閣の外交は急激に強硬路線を突っ走る。有事関連法案、国会で多数で可決される。「平和憲法も危ない」と感じた人は多かったのではないだろうか。
「切ないなあ」−−これが高齢者の今日の共通の思いや嘆きだ。いや高齢者だけではないのかも知れない。
イラクへの自衛隊の派遣、憤慨とともに「どうなっているのだ〜!!」の声が聞こえる。
平和問題で悩んでいる人の話には、考えさせられた。「戦争体験からの平和論、平和憲法を守ろうとする<お経>のように唱えているだけではダメ。今日的な平和論が求められていないか」と彼は語る。偉い人もいるものだと感じた。
生きてきた時代は違うが、現役の延長の気持ちを持っている人。老後の生き方、考え方を模索している人−−さまざまだが、共通していることは健康問題。そして年金の行方など・・・。これからの高齢者の思いは、どう変わって行くのだろうか。
私も逃げずに、共に考えたいと思っている。
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| 朝日五男さんの略歴 |
1929年(昭和 4年)10月1日 10人姉弟の8番目として生まれる
1947年(昭和22年)4月 京阪神急行電鉄(阪急電鉄)入社
1952年(昭和27年) 阪急組合本部へ以後支部・職場
1974年(昭和49年) 私鉄総連本部 政治部長・財政部長
1980年(昭和55年) 私鉄関西地連 副委員長・委員長
1987年(昭和62年) 関西地連高退会会長
1988年(昭和63年) 大坂交運議長
1990年(平成 2年) 近畿交運議長
1993年(平成 5年) 交運労協退任 64才
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| 編者の独り言 |
彼の周りには、自然と人が集まってくる不思議な方です。そんな人が高齢になって、どんな暮らしをなさっているのか−−興味を持っていたところ、案の定、素晴らしい時間を使っていました。
東京での一人暮らしの6年間、ほとんど外食生活で、お腹の傷からよく膿を出して余り健康状態は良くなかった。その後、関西地連に戻り、自宅から通勤する様になってからは、全く健康になったとの由。奥さんの手作り料理と愛情が、いかに大切か−−という事を、まの当たり見させて頂きました。
ゴルフを3年前やめたそうですが、全くお元気でした。 |
及川了介
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